Japanese

ジョー・ザヴィヌルの声 日本語抄訳

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Voice of Joe Zawinul (July 13, 2002)

Interview with Joe Zawinul
at North Sea Jazz Festival, Bel Air Hotel/ Den Haag, Holland July 13, 2002
Interviewed by Reiji Maruyama

ジョー・ザヴィヌル(1932年7月7日-2007年9月11日)

「ウエザー・リポートでプレイしたすべてのミュージシャンを代表して、永遠の友ジョゼフ・ザヴィヌルに贈ります。ジョー、やったな!」。ウェイン・ショーターのその言葉にザヴィヌルが満面の笑顔を浮かべた。毎年ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルのステージで授賞式が行なわれるバード・アワードは、チャーリー・パーカーのニックネームを冠したオランダのジャズ・アワードで、これまでにマイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピー、アート・ブレイキー、ソニー・ロリンズ、レイ・ブラウン、オーネット・コールマン、ハービー・ハンコックなどが受賞している。この年(2002年)は、ジョー・ザヴィヌルがその栄冠に輝き、当時はデン・ハーグ市で開催されていたこのジャズ祭の初日となる7月12日のザヴィヌル・シンジケートのライヴがはじまろうとしていた時に、ウェイン・ショーターが賞のプレゼンターとして登場したのだ。主催者のこの粋な計らいに、聴衆もプレス関係者も、そしてザヴィヌル本人も大喜びだった。
「こりゃ驚いた。(受賞を)とても誇りに思うと同時に幸せです。しかも、それをこの惑星で自分が1番好きなミュージシャンから授与してもらえてとても光栄です。ありがとう。そして、ウェイン・ショーターにはこう言いたい。“いつもウェイン・ショーターでいてくれてありがとう”」。ザヴィヌルは、喜びの挨拶を述べた後、ドラムのパコ・セリー、ベースのエティエネ・ンバッペ、ギターのアミット・チャタジー、パーカッションのマノロ・バドレーナというシンジケート・バンドのメンバーに、ゲスト・シンガーのサビーネ・カボンゴ(のちにレギュラー・メンバーとなる)を加えて、その夏に発売するニュー・アルバム『フェイセズ&プレイシズ』に収録の新曲を中心に8曲プレイ。数日前に70才の誕生日を迎えたばかりのザヴィヌルは、そのライヴの最後に大きなバースデー・ケーキを受け取り、1万人のオーディエンスによるオランダ語の誕生日の歌の大合唱という祝福を受けて、笑顔でステージを後にした。

ジョー・ザヴィヌルへのインタヴューは、その翌日の7月13日に彼が滞在していたホテルのロビーで行った。その記事は、2002年のジャズライフ9月号に掲載された。

JAZZ LIFE 09/2002 (cover photo by Reiji Maruyama)
Joe Zawinul Magazine Cover

オーディオ・トラックは、そのインタヴュー中に録音したザヴィヌルとの会話の一部。その抄訳をここに記しておく。

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ジョー・ザヴィヌルの声 日本語抄訳:

この2年間に700曲書いた。昔は、何本ものカセットテープに次々と録音して行ったんだ。
(筆者注:この時ザヴィヌルは、「いまではコンピューターを使っているので録音も楽で曲作りがはかどる」と語っている)

私は、即興しながら曲を書く“インプロヴァイジング・コンポーザー”だ。そして、フォーム・インプロヴァイザーでもある。長い即興をプレイする時も、あるフォーム(かたち)に沿って行う。3つか4つの音を使ったモチーフでやり初めて、それを頻繁に繰り返しながら、あとで再びそのモチーフに帰って行くことが多い。

これはいままで誰にも話していないことだが、初めて日本へ行った時、そのまま日本に残りたいと本気で思ったんだよ。
(注:ジャズをやるためにウィーンからニューヨークへ移ったばかりだったので日本に留まるわけにはいかない、とあきらめたそうだ。ザヴィヌルは、1963年7月7日、31歳の誕生日にキャノンボール・アダレイのバンドのメンバーとして初来日した)

昨日はバンドにとって良い夜じゃなかった。でも仕方がない。私は、息子(ザヴィヌルのエンジニア、イワン・ザヴィヌル)が何でも直せることを知っている。あいつは、あのMidiボックスを瞬く間に元通りにした。(ライヴで使う)キーボードは4台ぐらいだが、たくさんのラックをMidiボックスでつなげている。私にはあれが必要なんだ。わかるだろう?
(注:前日のライヴは、機材トラブルがあり、筆者の正直な感想では、メンバーの調子もいまひとつ。そのためザヴィヌルは、演奏中に怒りまくっていた)

パコ・セリーは達人だ。彼は本当にすごいドラマーだ。乗った時のパコにかなう者はまずいないだろう。

エレクトリック・ベースでは、いまだにジャコ(・パストリアス)が大家だ。ジャコがバンド(ウエザー・リポート)に入って3週間ぐらい経ったある日、私のところにやって来てこう言った。「ジョー、リックのネタ切れで何を弾けば良いのかわからない」と。だから私は、「リックをプレイしなければ、リックのネタ切れなんて起こらない。リックやフレイズを弾く代わりに、もっと節をつけてメロディカルにプレイしろ」とアドバイスした。その私の言葉を聞いてからジャコは生まれ変わった。それ以前にもすでに多くの才能を持ち合わせていたがね。

ウェイン・ショーターと私は兄弟みたいなものだ。友人として、さらにビジネス・パートナーとしても永遠の仲なんだ。

(即興演奏をする時は)ゾーンの中にいる。わかるかい。自分をトンネル・ヴィジョン(あるひとつの精神状態)に入り込ませるんだ。そうすれば(演奏が)どこへ向かって行くのかわかる。もし何も起こらない時には、ただ演奏をストップするだけだ!

ケーキはどこにあるの?(ザヴィヌルの女性マネージャー/前日のライヴで主催者から贈られたバースデー・ケーキのこと)
大厨房にあるってチーフが言ってたよ。(ザヴィヌル)
ああ、そう。そろそろ12時だから、インタヴューはこの辺で切り上げた方が良いみたいね。(マネージャー)
それは残念だ。もう行かなきゃ。(ザヴィヌル)

全部自分でやるんだな。(ザヴィヌル/筆者がカメラも扱うのを見て)
君はドイツのどこに住んでいるんだ?(ドイツ語でザヴィヌル)

Text & Photo by Reiji Maruyama

外部リンク:
◆丸山礼司の日本語ブログ ジョー・ザヴィヌル
http://maruyamajp.exblog.jp/10364746

エスビョルン・スヴェンソンの声 日本語抄訳

Voice of Esbjörn Svensson (October 22, 2003)

Interview with Esbjörn Svensson
October 22, 2003 at Colos-Saal, Aschaffenburg, Germany
Interviewed by Reiji Maruyama

エスビョルン・スヴェンソン(1964年4月16日–2008年6月14日)
スキューバダイビング中の事故により44歳でこの世を去ったスウェーデンのピアニスト、エスビョルン・スヴェンソン。その訃報に接した時、筆者は特別な感情を抱かずにはいられなかった。

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エスビョルン・スヴェンソンは、1964年4月16日、スウェーデンのベステルオース生まれ。父はデューク・エリントンやチャーリー・パーカーなどのジャズを愛聴し、母はショパンやリストなどのクラシック・ピアノを弾くという音楽好きの両親の元、ラジオから流れてくるロックやポップスの影響も受けながら育った。ストックホルムの大学で4年間音楽を学んだのち、80年代半ばからスウェーデンやデンマークのジャズ・シーンでサイドマンとして頭角を現わし、90年に幼なじみのドラマー、マグヌス・オストロムと共にエスビョルン・スヴェンソン・トリオ(のちにe.s.t.と改名)を結成、93年にベース奏者ダン・ベルグルンドを迎えてアルバム『When Everyone Has Gone』(Dragon)でデビューした。トリオは、エスビョルンの死後2008年に発売された遺作『ルーコサイト』を含む計12枚のアルバムをリリースし、ストックホルムで2000年12月に収録したライヴDVDも残している。世界中で高い評価を得て「キース・ジャレットを継ぐ世代の代表」とまで言われたエスビョルンの突然の死は、21世紀のジャズ・シーンにおける多大な損失である。

2003年10月22日、ドイツ金融経済の中核をなすフランクフルトから南東に40kmほど離れた街アシャッフェンブルクでe.s.t.のコンサートが行われた。筆者は、その日のサウンド・チェックを終えたエスビョルンと約1年ぶりに再会して楽屋で話を聞いた。とてもリラックスしたムードで進行したそのインタヴューは、ジャズライフ2004年2月号に掲載され、鯉沼ミュージックのサイトでもその記事の一部が紹介されている(文末の外部リンク参照)。

オーディオトラック、Voice of Esbjoern Svensson (October 22, 2003)は、その取材中に録音したエスビョルンとの会話の一部。後半の「人生とスピリチュアル・ワールド(あの世)に関する話」は、これまで未発表である。冒頭でエスビョルンの訃報に特別な感情を抱いたと書いた理由は、これを聞いて理解していただけるだろうと思う。

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エスビョルン・スヴェンソンの声 日本語抄訳:

ダンとマグヌスと僕のうちの誰かひとりでも欠けたらe.s.t.は存在しない。3つの異なるヴォイスがうまくフィットするように、ダンとマグヌスがこれまでにプレイをしたことを考えながら曲を作る。僕はダンがボウ(弓)で弾くパートもよく書くんだ。
(筆者注:e.s.t.のオリジナル曲については、初期の作品ではエスビョルンひとりが作曲者としてクレジットされているが、ヨーロッパにおける知名度を高めた99年のアルバム『フロム・ガガーリンズ・ポイント・オブ・ヴュー』以降は、全て3人の共作となっている。この点についてエスビョルンに尋ねると次のような答えが返ってきた。「トリオの曲は、僕が“作曲”したものを3人でアレンジする。でも、ダンとマグヌスのヴォイスはとても個性が強いので、その過程でいろんなことが起きてくる。曲がまったく新しいものに生まれ変わるんだ。だから作曲者のクレジットを3人にしているのさ」)

家にはコンピューターやシンセサイザーなどの機材がたくさんある。それを使って作曲することもあるけど、トリオのための曲作りにはあまり使いたくない。そういう音楽(シーケンサーで作る曲)はe.s.t.とは別ものなんだ。いま僕はトリオに集中しているけれど、ドラム・マシーンやシンセサイザーで作った“スケッチ”はたくさんある。いますぐにでも発表できる完成品だってある。でも、それをリリースするつもりはない。そんなこと出来ないよ。トリオで成功することの方がまずは重要。やっとe.s.t.の音楽が人々に知れ渡たり始めた今のこの時点で、僕がシンセサイザー・アルバムやピアノ・ソロ作品を出し、マグヌスがカントリー・アルバムをリリースしてダンも……、なんてことになったら混乱する。みんながそれを気に入ってくれたとしても、トリオの活動を継続するのはたぶん難しくなる。いつかは(ソロ・アルバム制作を)やるかもしれないが、まだその時ではない。やるとすればそれはたぶん数年先のこと。いまはe.s.t.に集中する必要があると僕は思っている。

〈あなたにとって人生の意味とは何ですか? 自分はなぜこの地球に存在していると思いますか?〉
その質問は、僕自身もこれまで自分に何度も問いかけた。だけど……、わからない。もしかすると、僕はその答えを見つけるために生きているのかもしれない。何かやらなきゃいけないことがあるのかもしれない。でも、いまはまだまったくわからない。

〈自分がミュージシャンであることを幸せと感じますか?〉
僕は……、わからない。“幸せ”とは何か、あるいは“ミュージシャンである”とはどういうことなのかを語ることができない。だからその質問にイエスかノーで答えるのはとても難しい。いま僕はミュージシャンとしてここにいる。これが僕の人生だ。気分は良いよ。でも、すごくキツいのも事実だ。時々、自己不信に陥ることがある。だから気分良くやるしかない。でも確証なんてない。自分をキース・ジャレットと比べる理由なんて何もないけど、彼は病気になってすべてのエネルギーを失ってしまった。(「キース・ジャレットは見事にカムバックしましたね」という筆者の言葉を受けて)彼が特別なのは間違いない。でもこの僕が、つねに新しいものを追い求めながらいつまで曲を作り続けることができるのか? そのエネルギーやアイデアはどこから湧いてくるんだろう? いったいどうなっているのかな。ひょっとしたら、僕はただの器具かもしれない。もしそうだとしたら、こうしてなんとか動いているだけで満足だ。

〈どこかで誰かが「よおしエスビョルン、次はこのムードでやれ!」なんて言いながら信号を送っていたりして(笑)。〉
ハハハッ(笑)、それ否定できないね。

〈あなたは神を信じますか?〉
ここでもまた、神とは何か? という疑問が生まれる。この世の中にはたくさんの神が存在するんじゃないかな。だからその質問にも答えにくい。とは言っても、目に見えない何かが存在することは間違いない。僕は理論だけを追求する科学者じゃない。人間はマシーンや生化学で説明がつくものではないと思う。別の世界、いわゆる“スピリチュアル・ワールド”と呼ぶべきものは必ず存在する。でもその仕組みは謎だ。人生そのものがミステリーだ。多くの人が神について説明しようとするけれど、そのために人間の命をちっぽけなものにしてしまっている。僕には説明できない。自分が毎日生きていることがすでに奇跡だ。僕は、もしかしたら今夜、あるいは明日はもうこの世にいないかもしれない。いま僕は音楽をやるためにここにいる。なぜなのか、どんな理由があるのかわからないけれど、ここにいるんだ。

Text & Photo by Reiji Maruyama

外部リンク:
◆丸山礼司の日本語ブログ エスビョルン・スヴェンソン
http://MaruyamaJP.exblog.jp/10333029/

◆鯉沼ミュージック ジャズライフ2004年2月号に掲載されたエスビョルン・スヴェンソンのインタヴューの一部
http://www.koinumamusic.com/concert/est04/info3.html